フランス人監督が追う、肥田舜太郎医師96歳最後の闘い
【1週間限定上映/終了日:5/27(金)】
【監督】マーク・プティジャン
【キャスト】肥田舜太郎,野原千代,三田茂
2015年/日本,フランス/80分/太秦/ブルーレイ
5月21日(土)〜5月27日(金) |
11:45〜13:10 |
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一般 | 大専 | シニア | |
通常 | ¥1,800 | ¥1,500 | ¥1,000 |
会員 | ¥1,500 | ¥1,200 | ¥1,000 |
【フランス人監督が追う肥田舜太郎医師96歳最後の闘い】
肥田舜太郎医師のことを話す時、誰もが「肥田先生」と親しみと尊敬を込めて呼びます。
肥田先生は原爆投下の1945年8月6日以来、若い軍医としてずっと広島で被爆者の治療にあたりました。そのうち、この日広島にいなくて爆撃を直接身に受けなかった人々が、後になって突然発病し、被爆者と同じ症状を示して死んで行くという例を数多く目撃しました。それが内部被曝によるものであることを突きとめた先生は、それまで知られなかった内部被曝というものの脅威を世界に向けて訴え続けてきました。
【科学を名乗った最も権威のある集団が嘘をついている──】
カメラは、原発事故の被災者が暮らす福島県いわき市へと赴く先生を映し出します。先生には戦後65年にわたり広島・長崎の生存者を診療し続けてきたという治療体験があります。内部被曝の危険性は、核所有国の政府当局者たちによって隠蔽されてきたのです。先生は最後の力を振り絞り、愚かな選択をし歴史から何も学ぼうとしない体制に向けて警鐘を鳴らし続けています。そして、日本に原爆を投下した米軍や、日本に民間用原子力産業を導入したアメリカに対して、ハッキリとノーと言います。先生が願ってやまない、平和で核のない新しい日本の到来に向けて・・・。本作は一人の被爆医師の執念とも言うべき言葉を追ったドキュメンタリーです。
【この映画製作の意図】
肥田先生に出会うことがなかったら、私は核の問題に関わる映画など作らなかったであろう。先生のこれまでの生き方、他人のために尽くそうという態度はまさに世のお手本となるべきものである。私はこの映画を見る人にこうした私の賛嘆の気持を共有してもらいたいと願った。私はまた、この福島の事故を契機に核の将来をどう考えるか、あるいは民主主義のあり方をどう考えるか、この映画を見る人々に考えを促すことも目的とする。
この映画は、内部被曝の隠蔽の問題にも触れる。肥田医師は広島に原爆が落とされてから何年もたって後になっても患者達には被曝の兆候が多く見られたこと、ところがアメリカ軍や権力側は核による被害はすっかり終わったと断言したこと、を証言する。そして、これはどういうことなのかを解き明かす。今日も福島でも同じことが起こっている、と先生は考える。権力側は疫学的な調査がまだ完全に終わっていないのに、避難者に汚染地帯の自宅に帰るように促している。
核利用の発明の技術的な成果はある意味ではすばらしいことかも知れない。不幸なことにこの発明の軍事的利用は人類に破局的な被害を与えた。原子力を発電のために利用することは、一時は必要であったかも知れないが、もはや経済的にも採算の取れないものとなっている。チェルノブイリや福島の事故の後、そこから教訓を引き出さなければならない。原子力発電はすべて停止し、核に替わる新しいエネルギー源を求めなければならない。ドイツでそれが実現したようにフランスでも日本でも再生利用可能エネルギーへの投資を大いに進めるべきである。
この映画は物事のありのままを示し、観客に物事を深く考えるよう促す。観た後は各人が家族や、まわりの人々や医者たちと議論し合い、自分自身の考えを深めてほしい。
この映画はすべての人々によって見られるべきであろう。汚染地帯に住む人々だけではなく、原子力利用による電気を使用する人々すべてにことは関わるからである。こんな大きな災害をもたらすエネルギーを私たちは利用して生きようというのであろうか?
何が起こるかをはっきり意識すれば、私たちは生き方を選ぶことができる。代議士たちをして、社会にそぐわないものを変えて行くように仕向けることだ。デモクラシーは完璧なシステムではないにしろ、各人に自分の運命に対し責任を持ち、自分が暮らしたいような社会を選ぶことを可能にしてくれる。デモクラシーに正しく参加できるのは、物事の現実をはっきりと見据えることによってのみである。
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