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共同保育の試み“沈没家族”。あたらしい“ 家族のカタチ”を問いかけるファミリーヒストリー・ドキュメンタリー
【終了日:2019年7/26(金)】
【監督】加納土
2018年/日本/93分/ノンデライコ/DCP
7月13日(土)〜7月19日(金) |
10:50〜12:30 |
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7月20日(土)〜7月26日(金) |
17:10〜18:50 |
一般 | 大専 | シニア | |
通常 | ¥1,700 | ¥1,400 | ¥1,100 |
会員 | ¥1,400 | ¥1,100 | ¥1,100 |
【90年代半ば。様々な若者がひとつの“家”に寄り合い子育てに奮闘した実践的共同保育「沈没家族」。母はどうしてたったひとりでこの“家族”を始めたんだろう? 20年の時を経て、おぼろげだった僕の“家族のカタチ”が見え始めた─】
時はバブル経済崩壊後の1995年。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災が起き、世相がドンドンと暗くなる中、東京は東中野の街の片隅で、とある試みが始まりました。シングルマザーの加納穂子が始めた共同保育「沈没家族」です。ここに集まった保育人たちが一緒に子どもたちの面倒を見ながら共同生活をしていました。そこで育ったボク(監督:加納土)が「ウチってちょっとヘンじゃないかな?」とようやく気づいたのは9歳の頃。やがて大学生になってあらためて思ったのです。
ボクが育った「沈没家族」とは何だったのか、“家族”とは何なのかと。当時の保育人たちや一緒に生活した人たちを辿りつつ、母の想い、そして不在だった父の姿を追いかけて、“家族のカタチ”を見つめなおしてゆきます。
【映画祭で新鮮な感動を呼んだ卒業制作ドキュメンタリーが熱い期待に応えて、ついに【劇場版】として公開!】
加納土監督が武蔵大学在学中の卒業制作作品として発表したドキュメンタリー映画『沈没家族』は、“家族のカタチ”を捉えなおす軽やかな語り口で観客に新鮮な感動を呼び、PFFアワード2017で審査員特別賞、京都国際学生映画祭2017では観客賞と実写部門グランプリを受賞しました。
学生作品ながら、その後も新聞やテレビ等各メディアで取り上げられ続け、ついに劇場公開となります。一般公開にあたり、卒業制作版から再編集を経てバージョンアップ。さらに音楽を、その卓越した言語感覚とリズムで注目度MAXのバンド“MONO NO AWARE”が担当し、新たに書下ろした曲「A・I・A・O・U」を提供。格段にスケールアップした『沈没家族 【劇場版】』として生まれ変わりました。
【沈没家族とは?─90年代半ば、東京の片隅で試みられた共同保育の試み】
1995年、シングルマザーだった母・加納穂子(当時23歳)が、加納土監督が1歳のときに、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集するためにビラをまき始めた。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という加納穂子の考えのもと集まったのは独身男性や幼い子をかかえた母親など10人ほど。毎月の会議で担当日を決めて、東京・東中野のアパートでの共同保育が始まった。母・穂子が専門学校やその後の仕事で土の面倒をみる時間が取れないときに、当番制で土の面倒をみていた。「沈没家族」という名称は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子が命名。
約1年半後、アパートが手狭になったこともあり、他の数組の母子や保育人とともに5LDKの一戸建てアパートに引っ越した。「沈没ハウス」と呼ばれたそのアパートには3組の母子と数人の若者が各部屋に居住し、生活を共にしながら育児も分担し、居住者だけでなく多くの人が出入りする場所だった。「沈没家族」は、家族の新しいかたちとして、またストリート・カルチャーのオルタナティブな生活実践として当時注目を浴び、メディアでもたびたび取り上げられた。
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